top of page
執筆者の写真平安行政書士事務所

情報倫理の基礎1

「情報倫理」を考える際に、まず手っ取り早く「情報倫理」という語を見れば、「情報」と「倫理」という要素から出来上がっています。そのため、少なくとも「情報とは何か」、「倫理とは何か」という問いと「情報倫理学」は切り離せないと考えることができそうです。そして、いずれの問いも答えることが困難なものです。

「情報」という言葉は、私たちは日常生活のなかで、普通に使っている用語ですが、「情報とは何ですか」と訊かれた際に、あなたならどう答えますか。おそらく、きちんとした答えを出すことは難しいでしょう。

そもそも「情報」という語には、様々な定義が存在します(ここでは、幾つかの定義を書き出したスライドを示すにとどめます)。



 様々な視点から、幾つもの定義がなされているのがおわかりいただけるでしょう。当たり前のように使っている言葉ですが、いざ意味や定義を示そうとすると困る言葉があります。例えば「人間」という言葉がそうです。私たちは、この言葉を普通に使っていますが、少し立ち止まって「人間」の定義をしてみてください。いかがでしょう。実際には、簡単なことではありません。同じように「情報」という語も普段当たり前のように使っていますが、その意味について述べることは困難です。


 しかし「情報」という語は、現代社会を考えるうえで、あるいは私たちが生きていくうえでも、鍵となる概念の一つです。特に「情報倫理」について考えようとする私たちにとっては、「情報」がどういうものなのか(あるいは「こと」なのか)検討することが必要不可欠となります。

その検討の詳細は別の機会に譲るとして、ここでは、二つのことを示唆しておきたいと思います。


 


 情報と人間あるいは社会の関係、あるいは情報の社会的意義や効用等を考察する際に、このヒエラルキーを踏まえ、情報というものを階層的に捉えることが大切です。なおハーバード・サイモンのヒエラルキーにおける情報は狭義のものであり、私たちが情報倫理を考える際には、データから知恵までの全体を広義における情報と捉えたいと考えます。

Comments


bottom of page